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2018.08.06

シベリア抑留

名古屋、岐阜を中心に
年齢を重ねても暮らしやすい部屋づくりをしています元介護士の
整理収納サービスMoiの遠藤ほづみです!

今日で広島の原爆が落ちてから73年になりますね。

先日、93歳の方の戦争体験を聞く機会がありました。
シャキッと立ったまま1時間ほどしっかりとした意思ある言葉で
満州に行って
シベリアで4年間抑留されていた時のことを話してくださいました。

満州では、ロシアとの国境に配備されていたそうです。

ロシアが攻めてきた時
ロシア軍と戦うのが当時の日本としてはよかったかもしれない。
でも、その時の隊長が
「生きろ」
と言い、すぐに両手をあげて
全面降伏し捕虜になったそうです。

それまでは、そんなことを言う隊長ではなかったのに、その方のおかげで戦わずにすんだそうです。

最初は日本に返されると言ってたのに
向かってる先はシベリアに…
62日間かけて
食料も十分にない中歩いたそうです。
途中、足の裏は血で真っ赤になっても
歩き続けたそうです。
歩けなくなった方は銃殺…

体力のある強い人は、弱い人と手を組まない。
足かせになるから…
弱いものは弱いもの同士助け合い。
助け合ったから他の隊よりも多くの人がシベリアまでつけたそうです。

ロシアは日本の軍隊の上下関係を
統率しやすいからとそのまま使ってそうです。

上の人達は、自分たちの食事は確保して
下の人は少ない量で過ごしたそうです。
だから、死者が増えたと言ってました。

4年間の抑留の中で
助け合う自治ができたのは最後の1年。
それまでは酷いものだった…
と教えてくれました。

戦争は人間が人じゃなくなると
改めて感じました。

私も、もしその場にいて
生死がかかっている状況だったら
どんな風に振る舞ったんだろう…

歩けなくなる仲間を助けるのだろうか。
きっとご飯を少しでも食べたいと
盗むだろうな。
強い意志で歩き抜ける自信はない。
仲間のことを思いやれるだろうか。

そんな中で、仲間の為に食料を調達して
みんなで分けたり、
おかしいことはおかしいと感じて
行動された
話をしてくれた方は
どんなに勇気があって
強い人なんだろう。
酷い状況の中で相手を思いやる。
なかなかできないです。

そして、話をしてくれたおかげで
その事実を知ることができた。

知らなかったら何も考えないし
想像すらしない。

戦争を知らないからこそ
何が起きたのか
もっと
私たちは知ろうとしないといけないと
思いました。